ラーマヤーナの導き

近年、神話の評判は地に落ちています。わたしたちは嘘や不正確な情報にたいして、「それは神話みたいだ」といういいかたをよくします。グーグルで「の神 話」で検索してみてください。長蛇のリストがでてきます。しかも残念なことにそれらの多くは実際に神話に関するものでなく、逸話や迷信に関するものばかり です。

多くの神話が時代の試練を経てこんにちに伝承されていることを知っているわたしとしては、そのような風潮はじつに残念です。神話は世界中の多くの文化においていまなお存続しています。神話には、現代生活にもあてはまる教訓が数多く含まれています。

最近、高名な神学者ジョセフ・キャンベルの『パワー・オブ・ミス・シリーズ』を観る機会がありました。キャンベルは実生活に活かすことのできる神話を個々 人が見いだすことの重要性を説いています。神話のない文化や社会では、人々、特に若者は、ビジョンや目標を失いがちです。その結果、犯罪と腐敗がはびこり ます。

インドでは、多くの神話がいまなお生きています。なかでも『ラーマヤーナ』は有名で、トゥルシーダスのヒンディーバージョンではラーマ神の話『Ramacharitmanas』として知られています。
わたしが初めてインドを訪れた1992年、北インドのガンジス川上流の聖都リシケシにも行きました。そこでわたしは目の見えないサドゥーと出会いました。 そのサドゥーはラーマヤーナを唱えていましたが、彼はラーマヤーナの詩篇すべてを記憶しているようでした。毎日リシケシ橋の近くでそのサドゥーを見かけま した。彼はいつもその場所でラーマヤーナを諳んじていました。そして8年後の2000年、わたしはもう一度リシケシを訪れました。やはり同じ場所で同じサ ドゥーがラーマヤーナを唱えていました。あたかも時が停止しているかのようでした。

Blind_sadhu_chanting_the_Ramayana
Blind sadhu chanting the Ramayana in 1992, and 2000.

ラーマヤーナに人気が集中する理由は、ラーマ神の活躍を通してわたしたちがいかに人生とダルマを調和させて生きるべきかについて多くの示唆を得ることがで きるからです。登場人物はみな、わたしたちの本性の一断面を表しており、ストーリーはわたしたちの魂の進化の過程そのものを表しています。

たとえば、ラーマ王は純粋な意識を表し、シータ妃は内側の平和を、ハヌマーンは献身を表します。羅刹の王ラーヴァナに内なる平穏(シータ)を奪われたと き、献身(ハヌマーン)の助けが必要になります。ラーヴァナはエゴを表し、それが破壊されたとき、識別(ヴィビシャナ)がエゴの王国を平定して本来のある べき状態を取り戻します。

わたしは、このようなメタファは人生の教訓としてとても有益だと感じています。

※清水が2008年4月にリシシケシ訪れたときも、彼は同じところでラーマヤーナを唱えていました。
S.Shimizu
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