【Sh.K.N.ラオが語る】 第2回 ─ 裁判 (訳付)

清水がデリーで書いています。



①裁判で闘って勝ち、占星術の威厳を法的にも回復させた。
②バールティア・ヴィッディア・バワンの運営も軌道に乗っている。

やるべきことはすべてやったと語るSh.K.N.ラオ。

聞き手:ボーン・ポール・マンリー
収録日:10月19日
       
●背景説明●

BJP政権は2000年ころ、ジョーティシュ(占星術)を正規科目として大学で教授できるようにする法律を通過させました。それに猛反対したのが物理学者を中心とする科学者や共産主義者。彼らは裁判にその違法性を訴え、占星術を法的に禁止すべきだとまで主張ました。そのけんかを買って出たのがSh.K.N.ラオでした。結局、最高裁まで争われましたが、Sh.K.N.ラオの孤軍奮闘により、占星術がインド固有の伝統文化であるだけでなく、科学的な側面も有していることが認められました。原告の主張は退けられ、占星術は大学で教えるに値するという判断が下されました。これにより、占星術の古典としての正統性と科学としての正当性に法的なお墨付きが付与されました。

●インタビューの翻訳●

この時期、重要なことに最高裁の判決がありました。

まずマドラスで占星術に対する裁判が始まりました。インドでは被告でなくても自ら申し出て法廷で証言することができるのですが、占星術家はだれひとり占星術の側にたって争おうとはしませんでした。幸い、原告の申し立ては棄却されました。

そしてアーンドラ・プラデッシュの高等裁判所でも同様の裁判がありましたが、それも棄却されました。

南インド人はインド文化の後見人としての自負を持っているといわれていますが、こと占星術については、その自負を証明するつもりはないようでした。それは裁判で明らかになった恥部のひとつです。

アーンドラ・プラデッシュで裁判を起こしていた科学者は、たいへんな金持ちなのですが、こんどは最高裁判所に上告しました。それで最高裁で占星術について争われることになりました。

私は占星術家たちに「上申書を提出し、法廷で証言しましょう」と呼びかけました。60、70、80人くらいが応じました。

しかし、結局、最高裁判所が受理した上申書は、私のだけでした。インド全土で私ひとりだけでした。法廷に立ったのも、私ひとりだけでした。法廷にさえ、占星術家はだれひとり現れませんでした。

この事実だけで、彼らの偽善というものがわかろうというものです。

本や講演などでは「リシの伝統」とかふだんから美辞麗句を並べ立てているくせに、いざその占星術が危機にあるというときに、だれも占星術のために闘う勇気を見せることができない。
だれひとりとして…。

私は当時病気でした。2000年以降体調をこわしていました。まあ、それはいいとして、結局、神の恩恵によって私は法廷に立ち、争い、そして勝ち、占星術を法的にも守ることができました。

そういう意味では、私のミッションはすでに終わりました。いまは何もやり残したことはありません。

バールティア・ヴィッディア・バワンには、占星術を教授する伝統が根付いています。研究の伝統も根付きました。本を執筆して出版する伝統も根付きました。そしてそれらはすべて、週五日間のフルタイム・コースではなく、週二日間の週末コースで達成されました。それは一番誇れる部分です。

なぜなら、大学の占星術コースでは、毎週五日間、毎日五時間も占星術を教えているにもかかわらず、なにひとつ成果をあげていません。それに比べて私たちのバールティア・ヴィッディア・バワンの占星術コースは、土日の二日間しかないのに、しかも一日に最大三時間しか教えていのに、こんなに多くの成果を挙げています。

それはまさに神の祝福があってのことなのです。
そしてそれは、ムールカナンジがビジョンで見たとおりでした。
S.Shimizu
Calender
<
>
- - - - - - -
- - - - - 12
3 4 5 6 7 89
10 11 12 13 14 1516
17 18 19 20 21 2223
24 25 26 27 28 2930
31 - - - - - -

全記事

Designed by 石津 花

Archive
no. of Visitors
検索
最新コメント
リンク
只今の訪問者数
現在の閲覧者数: