もうひとつの占星術詐欺 ③─3 日本編 

デリーで清水が書いています。

ついでにもうひとつ。

突飛なことをいっているようにみえるかも知れない。
じつは私はインド占星術をやたらと広めたがる人の気持ちがわからない。

インド占星術にふれると多くの人が魅了される。
そして「インド占星術をもっと多くの人に知ってもらいたい!」と思う。

そこまではよい。
私もそうだった。

しかし、なかにはすぐに「インド占星術を広めたい!」と思う人がいる。
それが私にはわからない。
    
「(存在を)知ってもらう」ということと「(内容を)広める」ということは違うだろう、と私は思う。

インド占星術のすばらしさをもっと多くの人に「知ってもらいたい」というのならわかる。
しかし、すぐにインド占星術を「広めたい」となるのは、ちと飛躍がありすぎるんじゃないだろうか?

まず「魅了された」ら、次は「もっと知りたい」というのが順番ではないだろうか。
知ってから、ようやく人様に伝え広めることができるのだ。
ふつうはそう考えるだろう。

しかしカリ・ユガの世である。
知る・理解する」前に(我さきに)「広めたい」と思う人たちが少なからず出てくる。

それも無理からぬことなのかも知れない。
人々も、そういう人の登場を望んでいるふしがあるからだ。
需要があって、供給がある。

難解で名をはせるインド占星術は、そうかんたんに理解できるしろものではない。
まして人様に教えるとなるといま一歩踏み込んだ理解が必要となる。

まさか自分がよく知らないことを人にすすめ、広める?
もしそうだとしたら、けっこう無責任なことじゃない?

本当の目的は「広める」ことにあるのではなくにあるのでは?
たとえば、「売る」とか‥。

だって、知らないことは結局「広める」ことができない。
でも、知らなくたって「売る」ことはできるからね。

ま、いろいろあるんだろう。

やっぱりインド占星術をやたらと広めたがる人の気持ちがわからない。
そうとだけいっておこう。


あるいは、こういう人もいる。

占星術は基本をしっかり学びさえすれば、あとは数をこなして経験を積めば上達する

私は、それを否定しない。
一定の真実を含んでいると思う。

しかしそれはラオ方式ではない。

Shr.K.N.ラオ方式というなら、ブリハット・パラーシャラ・ホラ・シャーストラ(BPHS)をベースとしながらも、タジク占星術、ジャイミニ占星術、マンデーン占星術、プラシュナ占星術、ムフルタなどを体系的にしっかり学び、それをケース・バイ・ケースで柔軟に現代の諸問題にあてはめていくなかで使いこなすべく精進する、となるだろう。

だから、Shr.K.N.ラオはバールティヤ・ヴィッディヤ・バワンのアチャーリヤ・コースを修了した人にしか教壇に立たせない。

アチャーリヤ・コースを修了して初めて、上に述べた大系の全体像が見えてくる。
でないと、上に述べた占星術のディシプリンや体系をまったく無視して、
経験がすべてだよ、キミー
という人ばかりになり、我流であふれかえる。

すでに完成度の高い占星術が古典のなかで説かれている。
だから、まずはそれをひととおり学ぼうよ。
そのうえで使えるものを取捨選択すればいい。
場合によっては古典を傷つけない範囲でアレンジしてもいい。

平たくいえば、Shr.K.N.ラオ方式とはこういうことだ。

バールティヤ・ヴィッディヤ・バワンでは、こういうことが組織的に行われている。
とうぜん、その最初の過程で古典の知識をたたき込まれる。

繰り返すが、そうしないとまた我流の占星術であふれかえる。
インド占星術の権威はまたたくまに失墜する。

再現性のある法則を見つけ出すという、下記の過程も成立しえない。

古典 → 検証 → 法則の発見と定式化

そう、このリサーチの一連の流れの古典の部分が相当あやしくなってしまうのだ。

それは、Shr.K.N.ラオの目指すところではない。
それどころか、バールティヤ・ヴィッディヤ・バワンは我流の占星術製造工場と化してしまう。

いわんとしていること、わかるよね。

それにもっといえば、数をこなして経験値をあげるといっても、ラグナの検証をするという前提があってのはなしである。
ラグナを検証せずに、たくさんのホロスコープを観てもしかたがない。
間違ったラグナ、間違った分割図をたくさん見ても、経験値は上がらない。
バールティヤ・ヴィッディヤ・バワンでは、そういうはなしになっている。

じゃあラグナの検証はどうやるんだ?

ラグナの検証ができるようになるには、総合力が必要だ。
多くの要素を多角的に見ていく視点が必要だ。
ここにおいて、コンポジット・アプローチが登場する。

やっぱりコンポジット・アプローチは避けて通れない。
となると、やっぱりバールティヤ・ヴィッディヤ・バワンでしっかり学ぶしかない。
そういうことになってくる。
(そう思ったからここに学びに来たんだけどね)

もちろん他のやり方もあるだろう。

だが、バールティヤ・ヴィッディヤ・バワンで研究・教授されている方法論は洗練され完成度も高い。
多くは「Journal of Astrology」や書籍において公開されている。
学ばない手はない。


さて、みなさんもうおわかりだと思うけど、ラオ方式ってけこうたいへんなんだ。
たいへんさに関して最後にもうひとつ。

バールティヤ・ヴィッディヤ・バワンに通ってみて気づいたことがある。

じつは、Shr.K.N.ラオは占星術を「広める」ことなんかどうでもいいと思っているんじゃないか。
それよりも「高める」ことの方をよほど重視しているんじゃないか。

つまり、

[質]≫[量]

ってこと。

不等号が""じゃなくて""なのがみそね。
つまり「とっても」という強調が入る。

なぜそういえるのか?

私が昨年バールティヤ・ヴィッディヤ・バワンで在籍した英語の2年目のクラス。
1年目の最初の頃は、3クラスあった。
1クラスあたり50名いた。
つまり、スタート時で英語コースには150名の生徒がいた。

それが半年2クラス100名になった。
1年1クラス50名になった。

そして2年たって12月の卒業試験を無事通過できたのは、たったの14名だった。

6月にある再試験などで通過する人もいるだろうから、最終的には20~30名くらいにはなるのかも知れない。
しかし、卒業時の合格率はなんと10%に満たないのである。

それほど過酷なのだ。

しかもShr.K.N.ラオは、この点について「決して妥協しない」という。

もしこんなに厳しい学校が日本にあったらどうだろうか?
そんな無慈悲な学校はきっと恨みを買ってインターネットの掲示板やブログなどでぼろくそに叩かれまくるだろう。
生徒もぜんぜん集まらないだろう。

しかしインドではそうならない。
むしろ生徒はいつも定員オーバー気味だ。
すべてにおいて人口過剰気味のインドというお国柄のせいもあるのかも知れない。
しかし、それ以上にShr.K.N.ラオのカリスマのなせるわざでもある。
その背景にはもちろん、ひとりでここまで占星術の威厳を回復させたという実績がある。

そして占星術の威厳を回復できたのは、占星術を「広めた」からではなく、「高めた」からなのである。
いうまでもないが。

以上から、Shr.K.N.ラオは「広める」ことよりも「高める」ことをどれほど重視しているかをみなさんに理解してもらえればと思う。

私自身、卒業試験を受けてそのことを思い知らされた。
私はもう二度とあの試験は受けたくない。
それは正直な気持ちである。

繰り返すが、それほど過酷だった。

そのことがみなさんにも多少なりとも伝わるなら、昨年経験した私の試練は無駄ではなかったと思う。


山は高くなるほど裾野が広くなる。

だから「高さ」と「広がり」の相関を否定するつもりはない。
広がり」があって、はじめて「高み」にいたるような資質ある人たちが輩出されるというのも事実だろう。

だけどいまの私は、インド占星術を「広める」ことよりも、「高める」ことにより多くのエネルギーを注いでいる。

その重要性は、インドに来て学んだことのひとつである。
というか、それを学びたくてインドに来たんだけどね‥。
S.Shimizu
Calender
<
>
- - - - - - -
- - - 1 2 34
5 6 7 8 9 1011
12 13 14 15 16 1718
19 20 21 22 23 2425
26 27 28 29 30 - -

全記事

Designed by 石津 花

Archive
no. of Visitors
検索
最新コメント
リンク
只今の訪問者数
現在の閲覧者数: