ヴリンダーバン巡礼

デリーで清水が書いています。

先週の金曜日(12/3)から一泊二日でヴリンダーバンに行ってきた。

ヴリンダーバンヴィシュヌ派最大の聖地。
一周10キロほどの狭い市街地に5000の寺院がひしめくといわれている。

しかし、その割りには日本人にはあまりなじみのない土地だ。

デリー在住の日本人の知り合いでヴリンダーバンに行ったことのある人はひとりもいない。
「地球の歩き方 インド」にもヴリンダーバンの解説には半ページも割かれていない。

たしかにヴリンダーバンには、観光地としての価値はあまりない。

どこにでもあるような寺院がひしめいているだけの喧噪の街である。
クリシュナ信仰(バーガヴァタ派)やヴィシュヌ信仰(ヴィシュヌ派)と関わりのある人でない限り、訪れる意味がないのかも知れない。

ことの始まりは、先週のShr.K.N.ラオのプージャだった。

このプージャに参加したとき、Shr.K.N.ラオの2才下の妹さんがいらしていた。
彼女とは昨年4月にも一度ラオ宅でお会いしていた。
そのときは南デリーのカロリ・ババゆかりのアシュラムをみんなで訪れた。

今回は、ヴリンダーバンに行くことになった。

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クリシュナヴリンダーバンより少し北にあるマトゥラーで誕生した。
クリシュナは、生まれながら神変をおこす力を持っていた。

クリシュナヴリンダーバンに移り住んだとき、まだ5才だった。

ヴリンダーバンでは、クリシュナ牧童たちといつも行動をともにしていた。
それを見ていたブラフマー神は、クリシュナがほんとうに神の主(lord of god)であるかどうかを疑った。

ブラフマー神ヴリンダーバンじゅうの牧童をすべて洞窟に隠した。
そしてクリシュナがどうするのかを見守った。

それを知っていたクリシュナは、牧童に次々と姿を変えて現れていった。
そして1年もたたないうちに、ヴリンダーバンクリシュナの化身として現れた牧童であふれていた。

クリシュナの化身であるヴリンダーバンじゅうの草をはんでいた。
だから、ヴリンダーバン土埃(ラッジ)は、ガンジス川の水トゥールシーの葉とともに神聖なものとされている。

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数ヶ月前、はじめて私がこの地にたったとき、どこが聖地なんだぁ~? とあっけにとられた。

街中に寺院がひしめいていると聞いていたので、私は昔訪れたことのあるミャンマーのパガン(写真)のような風景を想い描いていた。

パガン

ところがいまのヴリンダーバンは、インドのどこにでもある都市のように、狭猥な道が迷路のように張り巡らされ、どこもかしこも埃と汚物にまみれ、バイクと車とリキシャーと人でごったがえしている。

しかし、Shr.K.N.ラオがこの地に通い始めた50年近く前は違った。
森がうっそうと茂り、鳥がさえずり、緑豊かで平穏な土地だった。
ヴリンダーバンヴリンダーはトゥールシー、バンは森を意味する。

ヴリンダーバンでは100%ベジタリアン(菜食)が守られている。
タマネギも大蒜もここでは食されていない。

そして、菜食の地に棲む鳥は美しい。
ヴリンダーバンの森には色鮮やかでたいへん美しい鳥がたくさんいた。
だが、デリーには美しい鳥はいない。
肉食の鳥が菜食の鳥たちの天敵となっているからだ。

いまのヴリンダーバンから往事の様子を想像することはむずかしい。
しかし、いまのような姿になってもヴリンダーバンの神聖さに変わりはない。
Shr.K.N.ラオはそう言う。

パリクラマ

ところで、街の外を周回することをパリクラマという。
当時Shr.K.N.ラオは友人・知人が落ち込んでいると、ヴリンダーバンへ連れてきてはこのパリクラマをやった。

パリクラマのあいだ、会話を交わすことはしない。
早足で歩きながらひたすら「ラデー、ラデー」と唱え続ける。
ラデーは、クリシュナの妻ラーダーに由来する。
混み具合にもよるが、パリクラマ一回に40分から120分くらいかかる。

当時の道路は、いまとは違って蓮の花びらのように柔らかかった。
裸足でも心地よく歩くことができた。

パリクラマをやっていると、鬱状態だった友人もいつのまにか心が和んでいく。
もちろん、鬱状態でなくても、人それぞれがそれなりになにがしかを体験する。
それがパリクラマだ。

いまでも世界中から大勢の人がパリクラマをしにヴリンダーバンにやってくる。

寺院巡り

Shr.K.N.ラオがヴリンダーバンを訪れた回数は200を越える。
Shr.K.N.ラオは1963年以来、毎年のようにヴリンダーバンを訪れている。
仕事でデリーに赴任していたとき、ほとんどの週末をヴリンダーバンで過ごしていた。
そのせいもあって、Shr.K.N.ラオはヴリンダーバンとその多くの寺院にまつわる故事に精通している。
ときには、寺院のプジャリ(パンディット)でさえ知らないことも知っていたりする。

ヴリンダーバンの寺院それぞれには、神秘的なストーリーがある。
今回、Shr.K.N.ラオは訪れた寺院それぞれについてその場で、あるいは宿舎で講釈をしてくれた。

‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥

12月3日、私たちShr.K.N.ラオ一行を載せたチャーター・バスは、まだ陽が高いうちにヴリンダーバンに着いた。

有名な白亜のISKCON(イスコン)寺院のそばにあるアシュラムに私たちは投宿した。
Shr.K.N.ラオの部屋に集まってチャイを飲み、上述の講釈を聞いた。
そして一段落してから、カーティヤーヤニー寺院を訪れた。

A: カーティヤーヤニー寺院

カーティヤーヤニー寺院は建立されてからまだ70年しかたっていない。
しかし、次の3点においてたいへん有名で、エネルギーの強い霊場として知られている。

① シャクティ・ピートのひとつである。
② 有名なガネーシャ像が祀られている。
③ ヨガナンダ系統の寺院も隣接されている。


神話によれば(スクールによっていろいろあるのだろうが)、Shr.K.N.ラオは次のようにいった。

シヴァは怒り、自ら命を絶った妻サティの亡骸をかき抱いて世界を破壊し始めた。
それを止めるためにヴィシュヌスダルシャン・チャクラを送り、サティの亡骸を52に裂いた。
そして、それらをインド全土にばらまいた。
ばらまかれた場所は、シャクティ・ピートととして知られ、霊験あらたかな信仰スポットとなった。
このカーティヤーヤニー寺院シャクティ・ピートのひとつとして数えられている。

カーティヤーヤニー寺院には、なかなか結婚できない女性や結婚問題を抱える女性たちが多く訪れる。

また、カーティヤーヤニーのご神体の左横には、ガネーシャ像も据えられている。
このガネーシャ像にも神秘的な話がある。

イギリス統治時代、ヒンドゥー教の宗教的な意味を理解するイギリス人は希だった。
ヒンドゥー教に興味を抱いたとしても、ほとんどがその文物の骨董的な価値にしか目を向けることはなかった。
あるとき、あるイギリス人がガネーシャ像を骨董品としてインドからイギリスに持ち帰った。
ガネーシャ像は、さっそく家のリビングに飾られ、格好の調度品として来客に誇らしげに見せびらかされていた。
そこにはラッドゥーというインドのお菓子まで据えられ、礼拝のまねごとも行われていた。

しばらくして、ガネーシャ像はその家族の女性の夢のなかに出てきた。
ガネーシャはこう告げた。

「バカげたまねごとをするのはやめて、はやく私をもとあった場所にもどしなさい。そうしないとあなたの身内に不幸が及びます。」

それから身内で2~3人が急死した。
こわくなった主人は、ガネーシャ像をインドに返還することにした。

ガネーシャ像がイギリスの貨物船でカルカッタに運び込まれるとき、インドでも大きく報道された。
群衆がガネーシャ像を迎えにカルカッタ港に押し寄せた。
そのときのガネーシャ像がこれなのである。

だから、ガネーシャ像を大切に扱いなさい、信仰しなさいという短絡的な話をしたいのではない。
もともとそのガネーシャ像は、ある家庭で熱心に信仰されていたものだった。
人々の篤い信仰の結果、その対象物に神のパワー(チャイタニヤ・シャクティ)が宿る。
信仰の力を示す好例である。

カーティヤーヤニー寺院
カーティヤーヤニー寺院

この日の寺院巡礼はそれで終わった。

宿に戻ったらとっぷり暮れていた。
食堂で夕食をとってShr.K.N.ラオの部屋に集まった。
みんなでチャイを飲み、Shr.K.N.ラオの講釈を聞き、明日の予定を確認した。
その後、Shr.K.N.ラオはしばらくインターネットでメールとニュースのチェックにかかり切りになっていた。

ある者は買い物にでかけ、ある者(わたし)は早々にベッドに就いた。
明日は早いのである。

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ヴリンダーバンの朝は、寒かった。
吐く息が白かった。

5時起床、6時出発!

なんて調子のいい予定を昨夜たてていた。
しかし、肝心のShr.K.N.ラオが出発の延期を告げた。
実際、寺院のなかはさらに寒い。
そこでのプージャは堪えるのだ。

B: ラーダー・ラーマン寺院

最初にラーダー・ラーマン寺院を訪れた。
19世紀に建立された寺院である。

シュリマッド・ヴァガバータムというプラーナ文献の最高の神学者はいつもこの寺院がら輩出されている。
そのひとりはボストン大学に招かれてヒンドゥー学を教えている。

ここの寺院を建立した人物は偉大な神学者であり、偉大な献身者(バクター、devotee)でもあった。
偉大な神学者は希(まれ)ではない。
偉大な献身者も希ではない。
しかし、偉大な神学者で同時に偉大な献身者でもある人は希だ。
その伝統はいまでもこの寺院には息づいている。

たとえばプルショッタマ・ゴスワミ

プルショッタマ・ゴスワミバクティー(献身)はとても美しく甘美だ。
あれほど完璧で情緒的なバクティーができる人はめったにいない。
ふつうはもっと機械的で味気ない。

プルショッタマ・ゴスワミはだれにでもナーラヤーナ・カヴァチャムを108回唱えることを勧めている。
機会があるならぜひプルショッタマ・ゴスワミに会うべきだ。
そしてナーラヤーナ・カヴァチャムや、シュリマッド・ヴァガバータムにある他のストートラムについて講釈を聞くことを勧める。

そのような偉大な神学の伝統、そして偉大な献身の伝統がまだこの寺院には残っている。

そしてラーダー・ラーマン寺院は、伝統の維持に関してはいっさい妥協はない。
昔からの伝統が100%保たれている。

寺院では、バジャン(聖歌)が奉じられていた。
30分ほどお堂に座り、みんなでバジャンを聞いて過ごした。

シータ・ラーマン寺院2

シータ・ラーマン寺院1
バジャンに耳を傾け、瞑想のひとときを過ごすShr.K.N.ラオ一行

C: ミラー・バーイ寺院

少し暖かくなってきたところで、次の寺院に移動した。
ミーラー・バーイー寺院である。

ミーラー・バーイーは16世紀の有名な女性の宗教詩人である。
当時ヴリンダーバンには高名なチャイタニヤの神学者ジーヴ・ゴースワミがいた。
ミーラー・バーイーは、ジーヴ・ゴースワミに会いたがっていた。
しかしブラフマチャリアを自認するジーヴ・ゴースワミは、女性には会わないといってとりあわなかった。
ミーラー・バーイーは、人づてにジーヴ・ゴースワミにこう伝えた。

「ヴリンダーバンには男はひとりしかないと思っていました。」
「それはクリシュナです。」


そう、ヴリンダーバンには男はクリシュナしかいない。
男性もクリシュナに礼拝するときはサリーを身にまとって女装する。
ラーダーになり変わるのだ。
それが、最高の献身のかたちなのだとShr.K.N.ラオは説く。

ジーヴ・ゴースワミは、問うた。
誰だこの女は?」

ついにミーラー・バーイーはジーヴ・ゴースワミと会うことができた。
そして、弟子になった。

そのミーラー・バーイーが多くの時間を瞑想に費やした地に建つのがこの寺院である。

ミーラーバーイの絵
ミーラー・バーイーの絵

しかし、このミーラー・バーイー寺院を訪れる人は少ない。
理由のひとつは、プジャリ(住職)がバラモンではなくクシャトリヤだからだ。
しかしそれはある意味で幸いである。
Shr.K.N.ラオはここに何度も訪れ、多くの体験をしている。
訪れる人が少ないぶん、バイブレーションも清浄に保たれている。

ミーラーバーイー寺院
ミーラー・バーイー寺院のご神体にストートラムを奉納する
写真の奥がミーラー・バーイーが長時間瞑想をして過ごしたところ

D: セーヴァ・クンジ寺院

そして最後に訪れたのが、クリシュナが16,000人のゴーピー(牧女)との愛の踊り(ラースリーラー)を繰り広げた場所にたつセーヴァクンジ寺院
ラースリーラーは献身のクライマックスのひとつのかたちである。

境内は高い塀で囲まれている。
塀の中は庭園になっている。
といっても草花ではなく低灌木が境内を覆っている。

道は塀づたいについている。
これを辿っていくと、門の正反対にある小さな建物にたどり着く。
そこが寺院だ。

寺院は夜になると閉門する。
閉門後は庭園内に誰も入ることが許されない。
もし閉門後も庭園内にいると、死ぬか気が狂うとされている。

閉門後は、庭園内でラースリーラー(愛の踊り)が繰り広げられるとされる。
庭園を覆っている低灌木はみんな夜になるとゴーピー(牧女)に変身するのだ。
そして、それは誰も目撃することが許されない。

1963年にShr.K.N.ラオがこの地を頻繁に訪れたとき。
日没時に庭園の門が閉じると同時に庭園内にいた人とともに猿がすべて門から出て行くのを何度も目撃した。
猿もそのことを知っているようだった。

閉門前にクリシュナのご神体の前に歯磨き粉などの洗面用具が置かれる。
早朝一番で開門と同時に寺院を訪れたShr.K.N.ラオは、洗面用具には毎回使用された痕跡が残っているのを目撃した。

ここでは、みなでゴーパーク・サハストラナームを唱えた。

セーヴァクンジ寺院
セーヴァクンジの門

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今回訪れた寺院は上に述べたものだけだったが、そのほかの寺院についてもShr.K.N.ラオからいろいろはなしを聞くことができた。

アヨーディアやハリドワールをShr.K.N.ラオと一緒に訪れたときもそうだったが、Shr.K.N.ラオと一緒に訪れるとその土地のもっともいい部分を体験することができる。
それは、その地を観光旅行で訪れたときにはまったく見ることのできない部分だったりする。

このように何度かShr.K.N.ラオの巡礼にお供しているうちに、観光旅行がほとんど無意味に思えてきた。
すでに2年もインドにいるというのに、せっかくの機会だというのに、観光旅行をする気になれないのはそのせいかもしれない。

ま、それはいいとして、他の寺院についても少し書いておこう。

ゴーヴィンドゥジー寺院

美しい建築様式で知られていたが、アウランゼーブが寺院上部を破壊した。
アウランゼーブは他の寺院も破壊しようとしたが、蜂の大群に襲われて兵士は退却し、その後ヴリンダーバンを訪れることはなかった。

この寺院でShr.K.N.ラオは、一匹の猿が、脚は蓮華座を組み手はムドラー(法印)を組みながら瞑想している姿を目撃した。
おそらくこの猿は前生で熱心な献身者だったのだろう。
しかしなにかミスを犯してしまったために今生では猿の姿で生まれ変わったのだろう。

ラームガジー(ランガナート)寺院

唯一の南インド式寺院。
ここではヴリンダーバンで唯一南インド様式の勤行が行われている。
この寺院の建立に関しても、逸話が語られた。

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今回のヴリンダーバン巡礼で私がShr.K.N.ラオから聞いた内容の一部を私なりに理解できる範囲で記録してここにエントリーをたて記載した。

これは主に日記を書く習慣のない私自身のための記録である。
しかし、読者のみなさんにとっても多少なりとも役立つのであれば幸いである。

ただ、なにぶんにもヒンドゥー教の知識がまだまだ不足しているゆえに、記録した内容や使用した用語に少なからぬ誤りがあるやもしれないと恐れている。
もしあったとしたら、それは私の無知ゆえに生じたものであることを前もってお断りしお詫びしておく。
同時に、修正すべき点についてみなさんからメールなどでご教示頂けるなら幸いである。
S.Shimizu
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